脱亜論

以下は、福沢諭吉の「脱亜論」(明治18年)の一部である。
————————————
我日本の国土は亜細亜の東辺に在りといえども、その国民の精神は既に亜細亜の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るにここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。この二国の人民も古来、亜細亜流の政教風俗に養わるゝこと、我日本国民に異ならずといえども、その人種の由来を殊にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺伝教育の旨に同じからざる所のものあるか、日支韓三国相対し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、この二国の者共は一身に就きまた一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども、耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず、この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、なお傲然として自省の念なき者の如 し。
———————————–

この記事が書かれてから、約120年経ったが、最近の中国の高速鉄道に関連する事件をはじめとして、中国・韓国の事件を見ると、「一より十に至るまで外見の虚飾のみを事とし」とか「道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、なお傲然として自省の念なき」あたりは、今でもあまり変わっていないのかなと思う。

Leave a Reply