旧東海道1

以前、1年ほどだが、旧東海道のそばに住んでいた。京浜急行の新馬場駅から歩いて6,7分のところであった。近くに目黒川が流れていた。この目黒川を、昔、この辺では、品川と呼んでいたそうである。品川の語源であるが、下なし川→品川という説がある。「下なし」とは、下流が(蛇行していて)わからないということである。目黒川は、たしかに、東京湾に出るあたりでほぼ直角に北のほうに曲がっている。ちなみに、上流が(どこなのか)わからない上なし川も存在する。この「上なし川」は、かな川(神奈川)と変化した。

品川宿は、東海道の最初の宿場町であり、この目黒川の辺りが中心地であったようだ。最近、品川と言うと、JRの品川駅周辺を思い出すが、昔の品川宿とはずいぶんずれている。京急に北品川という駅があるが、これは品川より南にある。品川駅より南に北品川駅がある。変だ。京急の品川駅は、昔、高輪駅だったらしい。旧国鉄が、品川駅なので、京急は名前を「高輪」から「品川」に変えたらしい。それで、品川駅の南に北品川駅が存在することになった。品川駅は、品川区にはない。港区にある。旧国鉄は、なぜ、無理をして品川駅にしたのだろうか?高輪駅とかではだめだったのだろうか?たぶん、品川という名前は、ブランドだったのだろう。明治時代には「品川県」なるものも一時存在したみたいだし。

目黒川の北側が北品川で、南側が南品川である。北品川は商人の町で、南品川は職人の町である。両者はあまり仲が良くないらしい。今、新馬場という駅があるが、昔は、北馬場と南馬場の二つの駅があった。この二つの駅を一つにして新馬場にした。確かに、新馬場駅は異常に長い。しかし、ここに二つの駅があったとすれば、その二つの駅は異常に近い。新馬場の駅は、目黒川にまたがっている。私の推測であるが、北品川と南品川の両方で駅を欲しがって北馬場と南馬場になったのではなかろうか。

旧東海道は、八つ山橋から始まっている。八つ山橋の少し南に広場があり、案内板がある。道は、旧東海道を意識して、電柱がない。もっとも、これは目黒川までである。目黒川を越えると、電柱が現れる。商人の町と職人の町の差である。街道には、ところどころに観光用の案内板が立っている。街道を意識しているような外観の店もある。寺や神社も多い。江戸時代からのぞうり屋もある。この店は散歩番組でときどき紹介されている。

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