卒論 国語教育

この時期は、学生の文章(卒論や修論)をたくさん読まねばならない。文章がなってないのが多い。高校までの国語の授業はどうなっているのだろうかと思ってしまう。
私の場合、国語の授業では、作文の訓練よりも、文学作品の鑑賞の方が記憶に残っている。たとえば、高校の国語の時間に、萩原朔太郎の詩を詠んだ。

わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。
嗚呼また都を逃れ来て
何所の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未来は絶望の岸に向へり。
砂礫のごとき人生かな!
われ既に勇気おとろへ
暗憺として長なへに生きるに倦みたり。
いかんぞ故郷に独り帰り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
汽車は曠野を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸に
人の憤怒を烈しくせり。

この詩は、萩原朔太郎が離婚したときのものだ。
離婚経験どころか、恋愛経験もあまりない高校生に、このような詩を鑑賞させる時間があるのなら、他にやらせるべきことがあるだろう。

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.