Archive for the ‘思い出’ Category

高校の思い出

土曜日, 8月 21st, 2010

高1のときのことだったと記憶している。
確か午後1番(だから5時間目)で、化学の授業だったと思う。

授業が始まってすぐ、ドアを開けて、
「先生、彼女等にも授業を聞かせてください」と言って、入ってきたやつがいた。
やつは女子高生を2,3人連れてきたのだ。
ちなみに、僕の通っていた高校は男子校。
(女装していたやつが一人いたが)

教師は、「どうする?」と生徒に聞いた。教師も大変だ。
そうしたら、一番後ろに座っていて学生服を着ているやつが意見を言い始めた。
(学生服を着ているやつはかなり少なくて、それなりの自己主張があるやつらだ。)

そいつは、女子高生を連れてきたやつらに向かって
「君等は神聖な授業を何だと思っているんだ!」
とどなるのであった。

何が神聖な授業だ!ふざけるな!
そいつらは、いつも一番後ろで、トランプばくちとかしている連中である。
まあ、静かにやっていてこっちには邪魔にならないから、だまっていたが。
普段トランプばくちをやっているやつが、神聖な授業だと、笑わせるじゃないか。
(そいつらのトランプばくちは、裏にしたトランプから、
それぞれ一枚引き、数の多いほうが勝ち(10円)という極めて単純なもの。)

その授業は、そういう議論で終わってしまった。

高校のときに受験指導を受けた記憶がない。
教師は、生活指導のほうで忙しかったのかもしれない。
だから、高校3年になると、予備校とかに通い始める連中が多かった。
そのうち、この高校はつぶれるかもしれない。

小学校が廃校

土曜日, 8月 21st, 2010

3年前くらい前の話だが、僕が卒業した小学校が廃校になった。
生徒の数が減ったからである。
その小学校は、中野駅の前にある。中央線沿いで、南側にある。
今は、何にも使われていないのかもしれない。
駅の北側には、サンプラザとか区役所とかがあるが、
昔は、中野スパイ学校があった。
僕が小学生の頃は、その廃墟があった。
洗面所とか防空壕とかがまだ残っていた。
さらに昔のことだが、江戸時代には、中野駅周辺には、かのお犬様の犬小屋があった。

僕がその学校に通っているころに、北口にブローウエイができた。
その中にまんだらけができて、おたくの聖地になるとは、思いもしなかった。
南口には、丸井の本店があったが、最近、取り壊された。北口も、南口も、まだ、昭和が残っている。

マルクスの墓参り+キルケゴールの墓参り

火曜日, 8月 17th, 2010

お盆の時期なので、墓参りのお話を一つ。

昔、イギリスのロンドンにいる時に、カール・マルクスの墓に行った。墓地の名前は忘れた。墓地は、日本みたいに草刈とかされておらず、草ぼうぼうの状態であった。ヨーロッパの墓地はそういうもんらしい。マルクスの墓の前には、数名の人がいた。世界の共産主義の教祖だから、当然といえば、当然であろう。
一人の男が声をかけてきた。「これは本当の墓ではない。本当の墓はこっちだ」と言って僕を林の方へ誘うのであった。少し不安であったが、付いていった。確かに、林の中に、墓があり、写真におさめた。 みんなが見ているのは、言ってみれば記念碑なのだ。

数年前に、学会でコペンハーゲンに行ったときに、キルケゴールの墓参りをした。キルケゴールは、いわば、実存主義の「教祖」である。その墓は、彼個人の墓ではなく、キルケゴール家の墓であった。 僕以外誰もいなかった。マルクスの墓とは大違いである。まあ、それでよいのだろう。共産主義は政治的なものだが、実存主義はそうではない。
ちなみに、キルケゴールは、直訳すると教会の庭である。英語だとchurchgarden。
で、キルケゴールの意味は墓地だそうである。うーん、名前からして暗いんだ、と思ってしまった。ちなみに、日本にも、これに近い名前はないかと思って考えてみた。寺内とかがそうであろうか。

人生最初の記憶

水曜日, 2月 24th, 2010

僕の本籍は、中野区本町6-64である。この番地は現在はない。青梅街道と中野通りの交差点のそばである。この地での記憶はまったくない。生まれてしばらくして、杉並区和田本町(現在の和田)に引っ越した。区は、中野から杉並に変わるが、隣の町であり、歩いて数分の距離である。この一軒家での記憶が最初の記憶である。家の裏の金網に手をかけて立っていて、隣の下の空き地で遊んでいる子供を見ているという記憶である。「下」と書いたは、家の裏手が少し段差になっていたからである。1メートルくらいの段差であった。当時の自分の身長は数10センチであったから、1メートルくらいの段差でも、十分「下」なのであった。たぶん、一人でその金網のところまで歩いて行ったのであろう。3歳位くらいのことである。
犬を飼っていたと親から聞かされたが、これはまったく記憶にない。その犬は程なく死んでしまったらしい。
その家の前の道は、車一台が通ればいっぱいになってしまう程度の幅であった。その道を家三軒ほど右に行くと、四つ角になっている。そのまままっすぐ行く道は、舗装が途切れ、私道みたいになっていて、少し曲がりながらゆるやかに登ってゆく道であった。その角の左手の道は、下り坂であった。竹らしき木が茂り涼しげな感じがする坂であった。そして、その角の右手の道は下り坂気味の道であり、すぐバス通りに出た。バス通りと言っても、かろうじてバスが通れるくらいの幅の道である。数件商売をしている店があった。そっちの方向が賑わいの方向であった。
以前、高校訪問でその家のそばまで行ったときに、その高校から中野駅まで歩いた際に、そのあたりを通ったが、50年ほど前の自分の記憶どおりであった。子供たちが遊んでいた空き地がなくなっていたが、その他はほぼ同じであった。
家の前は寺であった。寺の墓地であった。墓は塀で見えないが、一般的には、あまり良い環境ではない。
4歳のころに、名古屋に引っ越した。親は家を売ったのだが、買い手は、立正佼成会の人であったらしい。「大聖堂」がそばなので、その家が気に入ったらしい。立正佼成会の聖堂が家の西南にあり、家から(たぶん)見える。