Archive for the ‘街’ Category

旧東海道3

日曜日, 9月 23rd, 2018

品川神社

品川神社は、新馬場駅を降りてすぐのところにある。第一京浜沿いである。急な階段を登ると、左手に富士塚が現れる。富士塚は、江戸時代に、富士山に行けない人が、この富士塚に登って、富士山に行ったことにしたという。富士塚から東側の眺めは、今は、ビルがたくさん建ってしまったので、それなりだが、江戸時代は江戸湾を一望できて良かったであろう。

品川神社の境内には能舞台がある。島倉千代子(品川生まれ)は、小さいころ、この神社ののど自慢大会で優勝したとか聞いたことがある。この能舞台がステージだったのであろうか?そんなことはないかもしれない。

境内を奥に進んで、本殿の後ろの細い道を歩くと、神社の境内の外に出てしまい、そこで行き止まりになる。そんな場所に、板垣退助の墓がある。こんなところにあるのか!と驚いてしまった。そこには、板垣退助だけではなく、板垣一族の墓もある。自由民権運動で当時の政府に逆らったから、こんな場所に墓があるのだろうか?墓のそばには「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉の石碑があった。「佐藤栄作」と書いてあった。佐藤栄作が書いて、設置したのであろうか。

品川神社の参道は、旧東海道の本陣跡あたりから始まる。参道は、商店街になっていて、第一京浜で終わる。

旧東海道2

金曜日, 9月 21st, 2018

最近は魚屋が減ってきたが、北品川ー新馬場ー青物横丁の旧東海道沿いには4軒ある。

新馬場の魚屋に行った。曜日は水曜日であった。店に入って、ショーケースの中を見たが、あまり魚が並んでなかった。そしたら、親父が、店の奥から出て来て、「何しに来たんだ」みたいなことを言う。なんか異様な雰囲気だ。普通の魚屋じゃないのか?そしたら、その親父、「うちに来るなら土曜日だ。土曜日はマグロの特売があるから。土曜日以外に来てもたいしたもんはない。」と言う。 土曜日以外はちゃんと商売していないのだろうか?不動産でも持っていて、それで食べれるから、魚屋は趣味でしているのだろうか?その日は、それで撤退した。後日、土曜日に、マグロの刺身を買った。まあまあおいしかった。価格はそんなに高くなかったと、記憶している。旧東海道界隈は、マグロにうるさい人が多いのであろうか。

青物横丁の魚屋は、人気の店で、いつも混んでいた。店先に、大きなぶりが一匹横たわっていて、1400円の値札がのっていた。「これ、さばいてくれるんですか?」と聞いたら、断られた。ぶり一匹丸ごと買ってちゃんとさばける人はそういないだろう。料理屋かレストランの人が買いに来るのであろうか。あと、他の店では秋刀魚が200円から300円していた頃、その魚屋では、大きくて生きの良い秋刀魚が100円くらいだった。安くてうまいからいつも混んでいるのであろう。

旧東海道1

日曜日, 9月 16th, 2018

以前、1年ほどだが、旧東海道のそばに住んでいた。京浜急行の新馬場駅から歩いて6,7分のところであった。近くに目黒川が流れていた。この目黒川を、昔、この辺では、品川と呼んでいたそうである。品川の語源であるが、下なし川→品川という説がある。「下なし」とは、下流が(蛇行していて)わからないということである。目黒川は、たしかに、東京湾に出るあたりでほぼ直角に北のほうに曲がっている。ちなみに、上流が(どこなのか)わからない上なし川も存在する。この「上なし川」は、かな川(神奈川)と変化した。

品川宿は、東海道の最初の宿場町であり、この目黒川の辺りが中心地であったようだ。最近、品川と言うと、JRの品川駅周辺を思い出すが、昔の品川宿とはずいぶんずれている。京急に北品川という駅があるが、これは品川より南にある。品川駅より南に北品川駅がある。変だ。京急の品川駅は、昔、高輪駅だったらしい。旧国鉄が、品川駅なので、京急は名前を「高輪」から「品川」に変えたらしい。それで、品川駅の南に北品川駅が存在することになった。品川駅は、品川区にはない。港区にある。旧国鉄は、なぜ、無理をして品川駅にしたのだろうか?高輪駅とかではだめだったのだろうか?たぶん、品川という名前は、ブランドだったのだろう。明治時代には「品川県」なるものも一時存在したみたいだし。

目黒川の北側が北品川で、南側が南品川である。北品川は商人の町で、南品川は職人の町である。両者はあまり仲が良くないらしい。今、新馬場という駅があるが、昔は、北馬場と南馬場の二つの駅があった。この二つの駅を一つにして新馬場にした。確かに、新馬場駅は異常に長い。しかし、ここに二つの駅があったとすれば、その二つの駅は異常に近い。新馬場の駅は、目黒川にまたがっている。私の推測であるが、北品川と南品川の両方で駅を欲しがって北馬場と南馬場になったのではなかろうか。

旧東海道は、八つ山橋から始まっている。八つ山橋の少し南に広場があり、案内板がある。道は、旧東海道を意識して、電柱がない。もっとも、これは目黒川までである。目黒川を越えると、電柱が現れる。商人の町と職人の町の差である。街道には、ところどころに観光用の案内板が立っている。街道を意識しているような外観の店もある。寺や神社も多い。江戸時代からのぞうり屋もある。この店は散歩番組でときどき紹介されている。

東京市 外堀公園

水曜日, 5月 30th, 2012

市ヶ谷駅のそばの橋のたもとにある碑である。 東京都ではなく、東京市である。東京市は、明治22年から昭和18年まで続いた。昭和18年7月1日から東京都になった。言ってみれば、東京都は戦時体制なのである。

目白台からの夕景

水曜日, 5月 30th, 2012

日本女子大付属豊明小学校の西隣に公園がある。その公園からの南側の夕景である。新宿の高層ビル群が見える。

スカイツリー

土曜日, 3月 24th, 2012

すぐ下からのスカイツリー

隅田川越しのスカイツリー

吉展地蔵

土曜日, 3月 24th, 2012

南千住の駅のそばに回向院がある。以前、このブログで書いたが、南千住の駅のそばは、江戸時代、処刑場であった。その跡に、回向院が建っている。その入り口に吉展地蔵がある。

「吉展ちゃん事件」を知らない人もいるかと思うが、昭和の誘拐事件である。なぜ回向院にこの地蔵があるのだろう?誘拐事件とは直接的な関係はないと思うが。

この写真も(ひとつ前の写真と同様)傾いている。撮り方が悪いようだ。

八紘一宇

土曜日, 3月 24th, 2012

先日、日光街道の千住大橋を渡ったら、以下の碑が目に入って驚いた。

「八紘一宇」の意味を知らない人もいるかと思うが、インターネットで調べてもらいたい。
左下に林銑十郎陸軍大将の書と書いてあった。写真からは読み取れないが。

しかし、なぜ、ここにあるのだろう?

碑が少し傾いているが、実際そうなのか、それとも、写真の撮り方が悪かったのか、よくわからない。

深川芭蕉庵

土曜日, 3月 24th, 2012

深川の芭蕉庵は、現在の住所では、江東区常盤1丁目だが、その正確な位置は、よくわかっていないらしい。

そばの橋のたもとに芭蕉の有名な句の碑があった。

付近の川の夕景

吉良邸跡

木曜日, 3月 22nd, 2012

忠臣蔵で有名な吉良上野介の邸宅の跡が、両国の少し南にある。
外観は以下の通り。

中に入ると、吉良の像がある。

祀られているみたいである。

以下は、説明文

夜中に40数名の武装した男に襲撃されたのだ。50歳だったらしい。吉良が浅野をいじめたと言われているが、浅野精神病説もある。今だったら、どんな裁判になったであろうか。浅野の精神状態がおかしければ、無罪になったのであろうか。