Archive for the ‘人物’ Category

宮沢賢治

土曜日, 9月 15th, 2018

この間、宮沢賢治の記念館に行った。新幹線の新花巻駅からタクシーで数分の所にある。宮沢賢治の実家は、質屋・古着商をしていた。結構、裕福な家庭だったようである。タクシーの運転手が、「この辺の山のいくつかは宮沢家の持ち物で、宮沢賢治記念館も宮沢家の所有の山の上にある。」と言っていた。その口調は憎憎しげであった。どうも地元民は、宮沢家にあまり良い感情を持っていないようである。山は、金を借りるための担保だったのであろう。そして借りた金を返せなくて山を取られたのであろう。

賢治もその質屋の番頭をしていたようであるが、あまり好きではなかったようである。金を借りに来た貧しい農民にたくさん金を貸して、後で、父親から「こんな安物で、なぜ、そんなに貸したんだ!」としかられたようである。この父親に関しては、最近、本(銀河鉄道の父)が出た。

宮沢賢治記念館から東京に戻ってきて、銀河鉄道の夜を久しぶりに読み直してみた。本棚に、子供用の本(あかね書房版)があったので、それを読んでみた。漢字が少なくて、ひらかなが多いので、少し読みづらかった。この本では、カンパネルラが川でおぼれた後に、ジョバンニとカンパネルラが銀河鉄道に乗るという話の流れになっていた。銀河鉄道の夜は、遺稿を整理したものなので、いくつかの稿がある。最後の稿では、銀河鉄道の場面が先で、川の場面が最後みたいである。

それにしても、銀河鉄道の夜の「透明感」はどこから来るのかな、と思った。登場人物の名前がカタカナなのも、透明感に寄与しているのかもしれない。もう少し考えてみたい。

銀河鉄道の夜の「銀河鉄道」は、当時の岩手軽便鉄道(現在の釜石線)がモデルだったようである。最近は、「銀河鉄道の夜」をテーマにしたSL銀河という蒸気機関車が走っている。私は運良くそれに乗れた。SL銀河はたしか特別列車という名前がついていた。「特急列車」ではない。時間は普通の各駅停車よりかかった。

江戸時代の3人の偉人の墓

日曜日, 1月 16th, 2011

昨年の年末、友人と、東京小観光をした。
江戸時代の3人の偉人の墓参りをした。
3人とは、伊能忠敬、葛飾北斎、関孝和である。
伊能忠敬の墓は、上野の源空寺にある。

隣には、師匠の高橋至時の墓があった。

葛飾北斎の墓は、源空寺より少し南にある誓教寺にある。英語の案内板や銅像もあった。

墓石には、「画狂老人」と刻まれていた。
最後は、関孝和の墓であるが、場所は、新宿区の浄輪寺であり、大江戸線に乗って、移動した。

以前、行ったときに比べて、きれいになっていた。整備したのであろう。墓の左には、いくつか絵馬がかかっていた(写真には写っていないが)。合格祈願であろうか。

伊能忠敬と定年制廃止

日曜日, 8月 22nd, 2010

伊能忠敬は、今の千葉県の佐原で商家を営んでいたが、
50歳で隠居して、江戸に向かった。
江戸で、自分よりかなり若い幕府の天文方高橋至時に弟子入りした。
高橋は、最初は、伊能の弟子入りを年寄りの冷や水くらいに考えていたが、
しばらくして、その考えを改めることになる。

伊能は、天体計測から地球の大きさを計算しようとしたらしい。
精度を良くするには、蝦夷地くらいまで行かねばならなかったみたいである。
それが、日本地図の作成につながってゆく。

伊能がほぼ全国を歩いて作った伊能地図は、幕末の欧米人を驚かせた。
伊能地図は、彼等が計測して作った地図とほぼ同等であった。
彼等は地図を作るのをやめ、伊能地図をくれと幕府に要求した。

しかし、伊能地図は、緯度に関しては、かなり正確だが、
経度に関しては、結構ずれている。

さて、伊能は生涯で二つの仕事をした。
しかも、二つの目の仕事は、人生50年といわれていた時代で、
その50歳から始めたのである。
もちろん、伊能のような例は稀である。

若いときの仕事の選択に関して、本当はこういうことをしたかった、
と言う人が多いのではなかろうか。
その若い頃にやりたかった仕事を、50歳や60歳からの第二の仕事にする、
ということを定着させることが、
人生80年・90年の社会では必要なのでなかろうか。

高橋への弟子入り以降、伊能忠敬は、大した収入はなかったのではなかろうか。
しかし、その仕事の偉大さは、だれにも否定できない。

根本博

火曜日, 8月 17th, 2010

先日、テレビで、根本博なる人物を知った。旧帝国陸軍の将校で、内蒙古あたりの司令官であった。彼は、終戦時、武装解除の命令に背いた。ロシアに何をされるかわからなかったからである。そこで、武装解除せずに、ロシアと戦い、民間人数万人を救った。

「満州に隣接する内蒙古では、根本司令官による「武装解除命令には従わない。責任は私一人にある。全軍は命に代えても邦人を守り抜け」という絶対命令によって、激戦の末、4万人もの邦人が、ソ連軍の蛮行から守られ、北京、そして内地まで奇跡的な脱出・帰還に成功する。ソ連軍だけでなく共産軍の圧迫をも凌いで「4万人の脱出」が成功した時、これを戦勝国側で守ってくれたのが、蒋介石率いる国民政府軍にほかならなかった。」(アマゾンの「この命、義に捧ぐ」の内容紹介より)

国民党と共産党の戦いは、数年続いた。根本博は、蒋介石の恩に報いるために、敗戦後、米国占領下の日本から台湾へ密航し、共産党との戦いに参加した。金門島という(大陸からすぐの)島がその戦場であった。国民党軍がその島を死守したので、台湾(中華民国)に所属している。これははじめて知った。

マルクスの墓参り+キルケゴールの墓参り

火曜日, 8月 17th, 2010

お盆の時期なので、墓参りのお話を一つ。

昔、イギリスのロンドンにいる時に、カール・マルクスの墓に行った。墓地の名前は忘れた。墓地は、日本みたいに草刈とかされておらず、草ぼうぼうの状態であった。ヨーロッパの墓地はそういうもんらしい。マルクスの墓の前には、数名の人がいた。世界の共産主義の教祖だから、当然といえば、当然であろう。
一人の男が声をかけてきた。「これは本当の墓ではない。本当の墓はこっちだ」と言って僕を林の方へ誘うのであった。少し不安であったが、付いていった。確かに、林の中に、墓があり、写真におさめた。 みんなが見ているのは、言ってみれば記念碑なのだ。

数年前に、学会でコペンハーゲンに行ったときに、キルケゴールの墓参りをした。キルケゴールは、いわば、実存主義の「教祖」である。その墓は、彼個人の墓ではなく、キルケゴール家の墓であった。 僕以外誰もいなかった。マルクスの墓とは大違いである。まあ、それでよいのだろう。共産主義は政治的なものだが、実存主義はそうではない。
ちなみに、キルケゴールは、直訳すると教会の庭である。英語だとchurchgarden。
で、キルケゴールの意味は墓地だそうである。うーん、名前からして暗いんだ、と思ってしまった。ちなみに、日本にも、これに近い名前はないかと思って考えてみた。寺内とかがそうであろうか。

夏目漱石終焉の地と関孝和の墓

土曜日, 8月 14th, 2010

早稲田通りは、靖国神社を起点として、飯田橋、神楽坂経由で、早稲田の方に延びてゆく。この早稲田通り沿いにいくつか「観光地」がある。

夏目漱石終焉の地

夏目漱石は49歳くらいで死んだ。死因は、胃潰瘍(胃がん?)。
甘いもの、たとえば羊羹が好きだったようだ。
最後の作品は「明暗」で、絶筆である。
終焉の地は早稲田にあり、今はアパートの脇に記念館がひっそりと建っている。
早稲田といっても、東の方である。
終焉の地は、猫塚と名前がついている。
漱石の遺族が、飼っていた猫の供養の為に塚を建てたらしい。

http://www.shinjukuku-kankou.jp/map_kagura_10.html

関孝和の墓

その近くに、浄輪寺がある。ここには、関孝和の墓がある。
関孝和は、江戸時代の数学者で、微積分にあと一歩のところまで迫った。
代数での終結式は、関が世界で最初に考えたとのことである。
それにしても、あの和算を読むのは大変である。
関は、長崎(そしてオランダ)経由のヨーロッパの数学はまったく知らなかったのであろうか?鎖国などせずに、もっと広範囲でヨーロッパと付き合っていれば、日本の数学ももっと進んだろうにと思う。

http://www.shinjukuku-kankou.jp/map_kagura_09.html

エジソンとテスラ

土曜日, 8月 14th, 2010

エジソンは皆さん知っているだろう。有名な発明家である。
これに対して、テスラは、知らない人が多いのではなかろうか。
テスラは、ハンガリー生まれの技術者である。
テスラは、高名なエジソンにあこがれて、アメリカに渡り、エジソンの会社に入った。
しかし、テスラはエジソンにいじめられた。
エジソンは人間的にはかなりやばかったみたいである。
テスラもかなりの奇人であったらしい。
テスラとエジソンは犬猿の仲になってしまった。
最終的には、テスラは、エジソンの会社をやめて、別の会社に入った。
二人は、電力システムの開発をした。
エジソンは、送電で直流方式を提案した。
これに対して、テスラは、交流方式を提案した。
エジソンの交流システムに対するネガティブキャンペーンはかなりひどいものだったらしい。二人の戦いの結果は、今われわれが使っている電力システムが交流送電であることからわかるように、テスラの勝ちであった。エジソンはさぞかし悔しかったであろう。

電力システムの功績で、二人はノベール賞の候補になったが、二人とも受賞しなかった。エジソンは「テスラと一緒はやだ」、テスラも「エジソンと一緒はやだ」と言ったとも言われている。

エジソンの作った会社は、ジェネラルエレクトリック(GE)であり、
テスラの入った会社は、ウェスティングハウス(WH)である。
原子力発電では、GEがBWR(沸騰水型)を開発し、WHはPWR(加圧水型)を開発した。
両社の競合関係は現在までも続いている。

なお、テスラの名前は、磁束密度の単位になっている。

北斎

火曜日, 2月 9th, 2010

先日、テレビで北斎の番組をやっていた。北斎だけでなく北斎の娘にも焦点を当てた番組であった。北斎の三女は、北斎の絵を手伝っていて、部分的には、北斎以上の腕前であったらしい。北斎は90歳まで生きたが、その生活は不健康なものであったようである。とすると、長寿の秘訣は何なのだろうか。とにもかくにも、絵一筋の人だったようだ。酒やたばこや女の話は残ってない。上の有名な「神奈川沖浪裏」は、70歳あたりの作品である。「俺の70歳以前の絵はだめだ」のようなことを言ったらしい。こういう言葉はゴヤに通ずる。ゴヤは晩年14枚の黒い絵を描いている。プラドー美術館でそれを見たが、まあ「まとも」ではない。画家はまともではだめなのであろう。北斎の絵はヨーロッパに影響を与えたが、北斎自身もヨーロッパの手法の勉強をしていたらしい。

カダフィ

金曜日, 9月 25th, 2009

国連総会でリビアのカダフィが15分の持ち時間を越えて1時間半も話し続けた。 久しぶりのカダフィ節で面白かった。安保理批判等、言っていることは正当なことが多いと思う。第2次世界大戦が終わって60数年経つのだから、戦勝国(=常任理事国)の拒否権という特権は、もういい加減やめるべきではなかろうか。しかし、カダフィは、もっと紳士的に振舞った方のが説得力があると思うが、無理な相談か?

カダフィが宿泊用に設置したテントが、行政当局によって撤去されたらしい。違法だとのことだが、いやがらせみたいな感じがする。 僕は、カダフィが、自分の民族の様式にこだわる気持ちはよくわかる。

カダフィには、今後とも、長生きして、がんばってもらいたい。