Archive for the ‘民俗学’ Category

サンカ

月曜日, 9月 10th, 2018

最近、遠野に行き、柳田国男の「遠野物語」の世界に触れた。その関係で、サンカなるものをはじめて知った。サンカとは、簡単に言えば、山の中で生きるジプシーである。日本にもジプシーがいたのである。しかも、つい最近までいたらしい。これには驚いてしまった。サンカに関する本も数冊出ているし、ネットでも画像とかが見れるので、サンカの様子をうかがい知ることができる。

病身舞(ピョンシンチム)

金曜日, 10月 28th, 2011

私は、高校生のころ、文化人類学に興味があった。今でも、その興味はある。そういう観点から隣の国の民俗には関心がある。以下は、最近見つけた動画である。
http://www.youtube.com/watch?v=i86fiRjvafk
なかなかすさまじいものである。今でもやっているそうなのである。
人間とは何かを理解する上では貴重な資料であろう。
この国には、これ以外にも、大変ユニークな文化がある。(もしくは、あった。)
例えば、「試し腹」とか「トンスル」とかである。あえてここには書かないので、ご興味ある人は、googleとかで調べてもらいたい。

イザベラ・バード 日本奥地紀行

日曜日, 8月 8th, 2010

イザベラ・バード 日本奥地紀行(高梨健吉訳)平凡社東洋文庫240 昭和50年

イザベラ・バードはイギリスの女性(当時40代)で、明治11年に、関東地方と東北地方と北海道を旅行した。以下は、私が面白いと思った箇所である。
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p6-p7
上陸して最初に私の受けた印象は、浮浪者が一人もいないことであった。街頭には、小柄で、醜くしなびて、がにまたで、猫背で、胸は凹み、貧相だが優しそうな顔をした連中がいたが、いずれもみな自分の仕事を持っていた。
(横浜港)

p9
給仕頭は日本人で、りっぱにイギリスの服装をこなしており、その念には念を入れる態度の丁重さにはまったく驚いてしまう。
(横浜のホテル)

p10
紙幣は堅い紙片で、中略。とてもきれいに印刷してあり、菊の紋章と竜の組み合わせで飾ってある。
(日本の紙幣)

p15
いたるところに村が散在し、灰色の草屋根に蔽われた灰色の木造の家屋や、中略。そのすべてが家庭的で、生活に適しており、美しい。勤勉な国民の国土である。雑草は一本も見えない。
(東京の景色)

p23
蚤は、特に日本の夏の旅行の際の大敵であるという点で、残念ながらすべての人の意見が一致した。

p24
「日本食」というのはぞっとするような魚と野菜の料理で、少数の人だけがこれを呑みこんで消化できるのである。これも長く練習をつまねばならない。

p43
家々はみすぼらしく貧弱で、ごみごみして汚いものが多かった。悪臭が漂い、人びとは醜く、きたならしく貧しい姿であったが、何かみな仕事にはげんでいた。
(東京のはずれ)←日光に行くので、日光街道沿いであろう。とすると、今で言えば足立区あたり?

p44
茶屋に入ると直ちに出される水で彼らの汚れた足をすすぐのである。というのは、汚れた足や外国の靴をはいたままでは、一歩でも、畳の床にあがることはできないからである。
(茶屋にて)

p47
私は、障子と呼ばれる半透明の紙の窓を閉めてベッドに入った。私的生活の欠如は恐ろしいほどで、私は、今もって、錠や壁やドアがなくても気持ちよく休めるほど他人を信用することができない。
(粕壁(=春日部?)の宿屋)

p48

世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。

p50
私の車夫は 中略。痛みと吐き気に襲われた。粕壁で悪い水を飲んだためだという。そこで後に残しておくことにした。彼は契約を厳重に守って代わりの者を出し、病気だからといってチップを請求することはなかった。その正直で独自のやり方が私にはたいへん嬉しかった。

p53
車夫たちが私に対して、またお互いに、親切で礼儀正しいことは、私にとっていつも喜びの源泉となった。笠とマロ(ふんどし)だけしか身につけていない男たちがばか丁寧な挨拶をするのを見るのは、実におもしろい。お互いに話しかえるときにはいつも笠をとり、三度深く頭を下げることを、決して欠かさない。

p54
両側には私が今まで見たこともないような大きくてりっぱな家が並んでいた。家はみな正面が開いていた。そのよく磨かれた床や廊下は、動かない水面ように見えた。掛物(壁にかけた絵画)が、横壁にかけてあり、実に美しかった。その畳も、きめが細かく白かった。
(カシツケヤといういかがわしい茶屋)

p55
年とった女たちは糸を紡ぎ、年寄りも若い人たちも仕事に精を出し、中略。七歳か八歳の小さな女の子でさえも、赤ちゃんを背中におんぶして子ども遊びに興じていた。
(関東平野の北部)

p55
日光の神聖な神社(東照宮)に至る街道は木陰になり、ちらちら洩れてくる日光と木陰が草葉をまだらにすると、私は日本が美しいと思い、今まで通ってきた関東平野が醜い夢にすぎないように感じられた。

p57
街路はひどく清潔になっているので、応接間の絨毯を泥靴で踏みたくないと同じように、この通りを泥靴で歩きたいとは思わぬであろう。
(日光)

p76

召使(伊藤)は、何を買うにも上前をはねる。ホテルの費用についても同じである。それは非常に巧妙になされるから、それを防止することはできない。それが妥当な限度を保っている限りは、それについて心をわずらわさないのがいちばんよい。
(日光湯元)

p77
学校の建物は、故国(英国)の教育委員会を辱しめないほどのものである。これはあまりに洋式化していると私には思われた。

従順は日本の社会秩序の基礎である。子どもたちは家庭において黙って従うことに慣れているから、教師は苦労をしないで、生徒を、静かに、よく聞く、おとなしい子にしておくことができる。教科書をじっと見つめている生徒たちの古風な顔には、痛々しいほどの熱心さがある。

(日光 入町村)

p98

女の人たちは(中略)、家にいるときは短い下スカートつけているだけである。何人かりっぱな家のお母さんが、この服装だけで少しも恥ずかしいとも思わずに、中略、
幼い子どもたちは、首から紐でお守りを袋をかけたままの裸の姿である。彼らの身体や着物、家屋には害虫がたかっている。

(藤原)

p115
日本の群集は静かで、おとなしく、決して押しあいへしあいをやらないからである。
(車峠)

p125
宿で生鮭の切身が一つ出たが、こんなにおいしいものは今まで味わったことがないと思う。
(津川)

p133
町は美しいほどに清潔なので、日光のときと同じように、このよく掃ききよめられた街路を泥靴で歩くのは気がひけるほどである。これは故国のエディンバラの市当局には、よい教訓となるであろう。藁や棒切れが一本でも、紙一枚でも散れば、たちまち拾いあげられて、片づけられてしまう。
(新潟)

p152
エデンの園
(上の山)
p153
道に沿って電柱が並んでいた。
(上の山)

p181
和服は美しい。和服をつけると威厳を増すが、洋服をつけると逆に減ずる。

(久保田(秋田))

p184
全体として、私は他のいかなる日本の町よりも久保田が好きである。たぶん、この町が純日本的な町であり、また、昔は繁栄したが今はさびれているという様子がないためであろう。